男性による在宅介護

在宅介護の工夫など

介護生活から得られるもの

(6年前に家族報に掲載して頂いたものです。)

 五年前、家内が55歳の時にアルツハイマー型若年性認知症と診断されました。一昨年には、私も早期退職して夫婦二人世帯の自宅を中心に、色々な人の助けを借りて介護生活を送っています。
私が在職中、一人で留守番している家内の症状が進行し、自分が壊れていく悲しみと不安で、毎朝、私に家にいてほしいと必死に縋り付いてきました。そんな家内を振り払って通勤する毎朝は、私にとってもとてもつらいものでした。ヘルパーさんや知り合いに、入れ替わり立ち替わり自宅に来てもらうことで、何とか仕事を続けてきましたが、幻覚症状を含む病気の進行に伴い、さまざまな生活のトラブルが発生してきました。そのため、私が仕事を続けるための介護環境でなく、家内が安心して穏やかな生活が送れる環境作りの必要性を痛感し、早期退職を決意しました。
 家内は年の割に若く見え、化粧して出かければ認知症であることがわかりませんでした。そのため、トイレ介助が必要になってきた時期に、外出先で多機能トイレを利用する際には、自作の「介護中」のカードを首から下げる必要がありました。そんな最中、大勢の人が見守る電車の駅で、家内が興奮して大騒ぎとなってしまい、それ以来、電車での外出が出来なくなってしまいました。
 昨年の秋、家内が胃潰瘍による手術を行い、入院生活を余儀なくされました。
入院中は点滴による栄養補給が行われ、付き添いがない時は自分で点滴針を外さないようにとベッドに拘束されました。食事ができるようになるのが退院の目安ということでしたので、毎日、朝食と夕食は私が付き添って、時間をかけて食事を摂るようにしました。適切な治療と努力の甲斐あって、2か月後に何とか点滴を外し、自分で歩いて退院することが出来ました。


 毎日、朝と午後にヘルパーさんに来てもらいながらの在宅介護が再開しました。入院前はトイレで用が足せたのですが、入院してからは全て失禁するようになってしまいました。また、不快や不安なことに対してすぐに興奮し、暴れることが多くなりました。特に脱衣や、トイレ介助などに対しては、全身の力で抵抗するようになりました。
私が一人で家内の汚れたおむつを交換するときは、爪をたてたり噛みついて必死で抵抗する家内の腰をタックルしながらトイレに押し込め、空いている手で汚物処理をしてきました。年齢が若く足腰が丈夫なため、手術したとは思えないような力があります。家内にトイレから蹴り出されて後頭部を打ち付けることもありました。また、暗くなると不安になって興奮することが多くなり、せっかく作った夕食をテーブルごとひっくり返されたこともありました。
 私は腰や首筋を傷め、耳が腫れあがり、顔や首筋にひっかき傷、肩には噛みつかれた傷と、まさに満身創痍の状態がしばらく続きました。私の健康を心配したケアマネージャーさんから勧められたショートステイを試みてみましたが、興奮した家内によるトラブルが発生し、一晩で諦めました。
このような状況で、施設を中心とした介護も検討しましが、介護職員の限られた環境で元気な若年性認知症患者を受け入れてもらうには、強力な薬等による行動の抑制が欠かせないと思われ、なかなか積極的になれませんでした。


 毎日が修羅場のような介護生活がしばらく続きましたが、それでも、「魂が抜けたようにベッドで横になっている家内よりも、恥じらいの残る元気な家内の方がまし。」と自分に言い聞かせて頑張れたのも、多くの人が周りに居て支えてくれたからでした。
長い間、介護と家族会に関わってきた大先輩からは「他では得ることのできない生きる上で大事なものを介護から得られた。」と、手紙を頂きました。また、多くの介護者の経験談などを読むうち、自分の置かれた状況で、できるだけのことをしようと前向きに捉えられるようになりました。
 家内と共に生活していく自宅環境を、不快な時を極力少なく、穏やかで豊かな時が送れるように整えました。日の当たる畳の部屋をフローリングにして二人の寝室とし、家内が飼いたがっていた子犬を飼い、花や思い出の写真を飾り、アロマをたき、好きな音楽を静かに流し、銘菓を常備し、そして、家内の毎日の生活記録をヘルパーさんたちと共有化してきました。
 このような工夫と努力、そして主治医の適切な薬の投与などで、少しずつ家内が落ち着きを取り戻し、興奮して暴れることが無くなってきました。
最近は、良く寝て、良く食べ、良くおしゃべりするようになり、音楽に合わせて腰を振るなどおどけても見せるようにもなりました。


 家内は不幸な病気になってしまいましたが、今は痛みや不安が少なく、穏やかで豊かな時が送れているのだと思います。私も不自由な毎日ではありますが、介護生活によって、人を思いやる気持ちを豊かに持ち続けることができているのだと思っています。